「マタギ」
矢口高雄著、中央公論社刊
この漫画は、週間漫画アクションに1973年10月から1975年3月にかけて連載されたそうです。ぼくが所有しているのは、中央公論社から1990年に「愛蔵版」として出版されたものです。
マタギとは、東北地方の狩人です。ぼくの両親が北東北の出身だということもあるのでしょうが、それを超えてぼくはこの漫画が好きでした。正確に言えば、この漫画の前に出版された「マタギ列伝」が。
なぜ、これを読み返したくなるのだろうと、いつも考えます。そして、いつも辿りつくのが、「農耕民族としての日本人だけでない一面」が描かれている漫画、という答えです。
ぼくは「狩人としての日本人」に共感を覚えているようです。ぼくは小学生まで毎夏休みを北東北で過ごしました。当時、祖父は馬淵川(まべちがわ)へ釣りに行き、伯父は仲間とキジやスズメなどを取ってきました。また、建前のときには、庭を歩いている鶏を絞めて「結い」で集まった人々に振舞う光景もありました。両親それぞれの集落の違いによる習慣の違いも、ぼくには興味あるものでした。
今日(7月26日)この本を取り上げたのは、昨晩、アジアカップ準決勝を観たからです。日本はサウジアラビアに2-3で負けました。後半開始早々の失点が致命的だったように思いました。
ぼくは、またしても「サッカー・マインド=狩人の心」と思いました。しかし、日本人が描く「狩人」はナンだろうと考えた時、たぶん、サウジアラビアのそれとは違うのだろうと思いました。
では、日本人の「狩人」は?そのひとつが「マタギ」でしょう。そして、矢口さんが描かれた絵を見ているうちに気がつきました。日本の狩人は馬に乗らない。樹影深い山に分け入って、慎重に獲物を追い詰めて、辛抱強く待ち、相手の気が緩んだところを撃ちます。時間内の勝負というよりは、持久力の勝負です。
ここにきて、分かっていないことがあることに気がつきました。欧州から朝鮮半島にかけて騎馬文化圏の人々は狩りのときに馬や駱駝をどのくらい駆使したのでしょうか?
しまった。サッカーと狩人を結びつけて考えるのは、上手い話ではないかもしれません。
でも、「マタギ」を引っ張り出してみて、感じることがありました。日本の狩りは歩くことから始まります。少なくとも、開始早々トップスピードになることは、ほとんどないに違いないでしょう。
しかし、騎馬文化圏の人々は騎乗した瞬間から気を抜けません。オン/オフの切り替えをしっかりしないと危険です。相手を倒すどころか、自分が振り落とされてしまうかもしれません。
昨日のサウジアラビアの戦い方は、柏レイソルが体現すべきものであったように思いました。高い位置での守備。相手選手ではなく、ボールに詰め寄る姿勢。そしてフリーにさせず追跡。そして、2列目からの攻撃。意表をつくドリブル突破。連携と個人技のアンサンブル。要注意人物の存在と、隠れた位置から現れる3番目の男。
たぶん、レイソルはこのような闘い方を表現できます。その鍵となる男は、菅沼実選手です。フロントに立つフランサ選手とチュンソン選手と、シャドウーで動くスズタツ選手と実選手のアンサンブルが復活すれば、サウジアラビアを凌ぐ試合が観られるのではないか、と思ってしまいます。
他のチームを応援している人が、これを読めば失笑するかもしれません。でも、自分が気にかけているチームについては、我が子以上に入れ込んでしまうものです。
話を「マタギ」に戻しましょう。
この物語は、北東北に存在する「マタギ」たちのかつての姿を描いたものです。その描写は、さながら宮本常一か柳田國男が漫画家だったら、こうしたのではないか?とさえ、思ってしまいます。もし、あの人たちがレオナルド・ダ・ヴィンチ並みの描写能力を持ちえていたなら・・・とも思ってしまいます。
矢口さんは、おそらく「漫画」という手法だからできることを表現したのでしょう。
そして、マタギを通して、本当はニホンオオカミについて言及したかったのだと思います。マタギたちが存在した日本においてもオオカミが絶滅してしまったということを。
posted by KAZZ Satoh at 09:54|
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