2017年09月04日

まちのたね 017247 UDCO

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「アーバンデザインセンター大宮」

2017年6月に大宮に行く用事があったのですが、その帰りにこっそり寄ってみました。素敵な設えになっていました。いかにも建築・都市に携わっている感じがみえてきます。ちょっとかっこいいです。

面白いのが商業ビルの最上階の一画で、模型などがオープンに展示されているところです。時間外はリボン・パーティションで仕切られますが、サッシやシャッターで区切られることがありません。このオープンさが面白いです。たとえ、スタッフが望むかたちでないとしても。

「まちづくり」という行為は多様で構わないと思います。都市・建築系だけが頑張るものではありません。福祉だって、地域だって、教育だって、様々なかたちで「まちづくり」や「ひとづくり」に関わっているのですから。問題は、誰がやる気になっているか?です。

大宮は、誰がやる気になっているのか?今後も追っかけていきたいところのひとつです。
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まちづくり関連本、など 1392

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「ローマ人の物語 38 キリストの勝利[上]」
塩野七生著、新潮文庫、2009

「キリストの勝利」という巻の「上」です。ローマ帝国を語る上で、このようなタイトルがつくということをヨーロッパ人たちはどのように受け止めるのでしょうか。興味があります。キリスト教徒の立場で塩野さんの描き方は、どのように映るのでしょうか。

「キリストの勝利」と題にしていますが、読んでみると、キリスト教が勝ち取った物語ではないように思います。当時の皇帝をキリスト教になびかせたということが勝利の根本だとしても、その後のキリスト教の拡大はローマ皇帝によるもののように思えます。これは、キリスト教徒からすれば偏見に映るかもしれません。しかし、自分には、そのように思えました。

このようなことを思いながら、ローマは自滅するべくして滅亡の道を歩んでいるのだろうと感じました。昨今、「民主主義の終焉」だったか「資本主義の終焉」だったか忘れましたが、そのようなタイトルの本があったことを思いだします。中途半端な思いだし方で恐縮ですが、今の時代を現わしているのであれば、時代の変革期を我々は体験しているのでしょう。ローマがキリスト教に変わっていく時代も似たような感覚に包まれていたのかもしれません。

キリスト教は民族を限定しなかった、と塩野さんが書かれていますが、それが勝利をもたらしたのでしょう。もっとも、それすらも積極的に選択したことというよりは、ユダヤ教との関係のなかで選択したことだっかもしれないように思えます。しかし、それが幸いしたと言えます。同じ神を崇めるものであれば、民族の区別は問わないわけです。民族の区別を問わない精神は、実はローマ的と思います。
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