「水中翼船炎上中」
穂村弘著、講談社、2018
17年ぶりとのことです。歌集を手にしたのは初めてとなります。それまではエッセイや短歌評論などを読んでいたことに気がつきました。穂村んは自分と同い年です。同い年の方が短歌を作り、それを印刷物にしているということが面白いです。実は、同じような感覚になる方がもう一人います。地元の本屋の主人ですが、彼女も短歌を作るとは思ってもいませんでした。
短歌は、たぶん、誰もが作れるもののひとつなのだと思います。でも、誰もがやっているものではありません。やり続けた人だけが歌人となります。
「グレーの内側」
久しぶりにカバーのついた本をてにしました。カバーはグレー地です。しかし、中身はこのような仕上げです。これは「江戸趣味」か?と思いながら短歌を沢山読みました。
歌人には、それぞれなりのスタイルがあります。教科書などで習うものは、どちらかというとダイレクトに文学を感じさせるような胡散臭さにつつまれているようで敬遠していましたが、穂村さんのは面白いです。こんな内容でいいのか?高尚な感じがしないけど、、、的な歌があちこちに登場します。穂村さんのおかげで、自分のなかの「短歌の民衆化」あるいは「ポップスとしての短歌」のような受け止め方ができました。今から30年くらい前に「サラダ記念日」がブームになりましたが、自分にとっては、あれも「高尚」な「文学」の世界のものでした。穂村さんの歌を身近に感じたりするのは、自分が高尚な境地に辿り着けないことを知ったからかもしれません。それよりも、もっと楽しい世界があることを再認識したからかもしれません。
posted by KAZZ Satoh at 15:14|
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