2019年11月02日

まちのたね 019304 @柏神社

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「夏まつりのころ」

柏神社の祭礼のときに撮影したものです。柏ハカが披露されたのは7月14日でした。その後の17日と18日が祭礼でした。



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「ハカを知る」

この記事を書いているのは11月2日ですが、この日も柏神社で柏ハカが行われました。3か月半ほど前を振り返ることができたので、夏の祭礼の写真を挙げるのですが、ハカの意味をしっかりと認識できたのは柏神社だったことを思い出しました。
posted by KAZZ Satoh at 16:37| Comment(0) | 柏名物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

まちのたね 019303 @歓月

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「三小通り商店会」

三小通り商店会は2カ月に一度、役員会を開きます。商店会の会員さんの店を持ち回りで会議の場とさせていただいていますが、お店がひとつ閉じました。7月のことです。年齢的なものなので、引退というかたちです。お仕事を全うされたので何よりですが、お店が無くなるのは寂しい限りです。

しかし、このように変化していきます。小さな商店会でも変化があります。かつてのような気分で運営はできません。新しい気分で運営していくことが必要です。新しい方策を行うことよりも、新しい気分が大事だと思います。やることは変わらないとしても、気分が変われば続いていくのではないかと思います。気分が変わらないのに、新しい方策を企てたとしても難しいのではないかと思います。賛同者とともに行動する人がいないからです。
posted by KAZZ Satoh at 16:27| Comment(0) | アクティビティ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鑑賞的 0193 演出:ボビー中西

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「男が死ぬ日」
テネシー・ウィリアムズ作、広田敦郎翻訳。ボビー中西演出、2019

久しぶりに芝居を観ました。もしかすると久しぶりではないかもしれませんが、久しぶりと思うほど痺れるものを観たような気になりました。縁があって、ボビー中西さんが講師を務める「柏演劇塾」の手伝いをしている関係で、観に行きました。

プロの役者たちとは、このような人たちか。と思わせる迫力があります。プロフェッショナルとアマチュアの差は覚悟にあるのだろうと思います。どんな職業でも同じなのでしょう。

テネシー・ウィリアムズという戯曲家がどのような芝居を幾つ残したのか?よく分かっていませんが、これは三島由紀夫に捧げたものとのことです。舞台は日本(銀座)で、「西洋能」と銘打たれています。「西洋能」とは、どういうものでしょうか?テネシー・ウィリアムズは、能をどのように解釈したのでしょうか?芝居の設定は確かに、能を思わせるものが幾つもあります。しかし、設定が能を下敷きにしているからという単純なものではなさそうです。おそらく演出家の解釈で繰り広げられる舞台は異なっていくのではないかと思いました。

ボニー中西さんは、アメリカでこの芝居に出演しているそうです。自分が出演した芝居を改めて演出するなかで、ボビーさんの解釈は変化していったのでしょうか。しかも、舞台設定は、いまから数十年も前です。あのころの気分と、現代の気分。西洋演劇と能の関係。掘り下げると様々な課題が見えてきそうです。

ボビー中西は、いつの日かまた芝居をプロデュースするでしょうか。そうなれば、次なる芝居を観に行かなければならないでしょう。追い続けることで、彼が描きたいものを掴むことができるのだろうと思います。一回で分かろうとするのは、おこがましいのだろうと思いました。
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まちづくり関連本、など 1638 伊藤多喜雄

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「NIPPONESE SONG〜産土〜」
伊藤多喜雄、1998

こういうものをワゴンに見つけると嬉しくなります。CDショップではなかなかお目にかかれないものですから、アマゾンなどで検索して手に入れることを考えてしまう一人です。

昔から、子供のころから民謡は好きです。しかし、民謡をかつての日本人の心的な感じで扱われているような気がしたときは、これは偏見かもしれませんが、なんとなく違うのではないかと思いました。伝統芸能を保存することは大事なことですが、その唄や曲のいつの状態を保存するのか?歌われ始めの素朴な状態を保存するのか?それとも、テレビ局で邦楽フルオーケストラ的な設えで歌うものを残すのか?なんだか「伝統芸能」という部屋に閉じ込めてしまい、そのまま冷凍保存していればよい。という感じなのか?などと思ったことがあります。

ワールドミュージックという言葉が聞かれるようになり、世界各地の民族音楽が聴きやすくなってきたと思ってきたころ、今から30数年まえでしょうか、伊藤多喜雄という民謡歌手を知りました。ジャズミュージシャンがちらほらうかがえるバンド編成で民謡を歌っていました。これが現代の民謡のひとつのかたちだろうと思って喜んだことを、このアルバムを聴いているうちに思い出しました。

伊藤多喜雄が唄うものは民謡ですが、臨む姿勢はジャズ的であり、ロック的なのだろうと思います。そして、自由な感じがします。
posted by KAZZ Satoh at 15:57| Comment(0) | music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする