「パブリック 図書館の奇跡」
エミリオ・エステベス監督、2018
キネマ旬報シアターでチラシを見かけたときから興味を抱いていました。観ることができてよかったです。原題は「The Public」とあります。日本語に訳すと「公共」と言うことになるのでしょう。舞台はシンシナティ公共図書館です。アメリカの図書館の在り方は、日本のものとは大きく異なるようです。ただし、ここで登場する図書館は「公共」です。ということは、「プライベート」もあるでしょうし、大学などの付属の図書館もあるでしょう。アメリカでは、設立の意味内容によって、利用のされ方が明解なのだと思いました。パンフレットで猪谷千香さんが「未来をつくる図書館-ニューヨークからの報告」という本、そして映画「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」を紹介されていますが、こういう本を読んでいれば、この映画に登場する図書館が担う役割を知った上で観ることができたのでしょう。猪谷さんは、「まちの未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト」を書かれていますから、紫波町の図書館の在り方を通じて、この映画への様々な想いが募ったのではないかと思いました。もっとも、猪谷さんとは面識がありませんから、本当のことは分かりません。
映画って素晴らしいと改めて思いました。アメリカ社会が抱えている様々な問題をエンターテインメントとして提示し、観る側の感情と知識を揺さぶり、最後にはひとつのカタルシスを与えてくれます。何度も観たいと思いました。DVDで持っていたいとも思いました。
しかし、改めて「公共」ということを考えてみたいと思いました。日本では「公共」のものは「お上のもの」という感覚が根底にあると思います。それは管理者としての立場であるでしょうが、「公共」とはそのような意味なのでしょうか。この映画がテーマにしている「公共」という概念は、そもそも日本にあるのでしょうか。よく分からないので、今度、機会があったら、このような話に詳しい人に聞いてみようと思います。まずは、探さないといけませんが。
posted by KAZZ Satoh at 16:17|
Comment(0)
|
movie
|

|