2017年04月26日

まちづくり関連本、など 1347

Aローマ人の物語 30.JPG

「ローマ人の物語 30 終わりの始まり[中]」
塩野七生著、新潮文庫、2007

マルクス・アウレリウスから実施コモドゥスへの移行が記された巻ですが、こうやって浜悦へむかうのだと理解しました。

著者は一貫して「人」を描きます。「人」が何を考えたのか?何を考えなかったのか?なぜなのか?そして、何を決断したのか?しなかったのか?さらに、何を実行したのか?しなかったのか?できなかった理由はどこにあるのか?

塩野さんは歴史書を書いている訳ではないと思うようになりました。遅すぎる発見なのでしょう。多くの方は、すでに気がついていることなのでしょう。歴史に登場する「人」を解明していくことで、「なぜそうなってしまったのか?」を解き明かすことを延々とやっているのでしょう。ですから、そのような視点で読み直すと、とても興味深く思えます。

コモドゥスは、個人としては有能だったのか?もし、学校の成績がよいようなタイプであったとしたなら、足りなかったのは指導者の力量なのかもしれません。つまりは、親の甘さがローマを滅亡に導いているのだと思えます。

同じようなことは、現代の日本でも起こっているように感じます。国会のレベルの話から町会レベルの話に至るまで。町会や商店会が機能不全に陥っているのは、今から20〜30年前の方々の読みの甘さが指摘されるような時代が来るでしょう。その当時の方々への同情は起こりますが、責任は重大だと思います。町会や商店会に携わった方々だけに責任を求めるのではなく、実は自治体の長や担当者たちの力量が問われるべきだと思います。まったく何も考えてこなかったツケは、「ローマ人の物語」で解き明かされているのですから。

著者がコモドゥスを大いに避難するようでもないのは、責任が彼一人のものではないことを伝えたかったからでしょう。塩野さんの書き方で、いつも面白いと思うのは、登場人物の性格までを判断基準に加えているところです。ハドリアヌスは当時の元老院からは人気がなかったとのことですが、それでも我を押し通すことができた性格をも評価します。人に好かれないことも受け止められる性格や年齢、そして経験を積んでいたかどうかということまで天秤に載せます。ですから、そのような経験も素養も知識も持つには若すぎたコモドゥスに対しては「仕方がなかったね」という気分だったのではないでしょうか。
posted by KAZZ Satoh at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 関連モノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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