2017年08月02日

まちづくり関連本、など 1381

A ローマ人の物語 36.JPG

「ローマ人の物語 36 最後の努力[中]」
塩野七生著、新潮文庫、2009

[上]がディオクレティアヌスでした。そして、[中]はコンスタンティヌスです。古代ローマの皇帝がキリスト教と関わる時代、そしてその少し前から「ヌス」系の名前をもった皇帝が多く登場します。この本にも過去をふりかえるかたちでハドリアヌスが再登場しますが、テルマエ・ロマエにも登場する皇帝も「ヌス」派です。これまでのローマ史に関わる方々は、おそらくこのような分類はしなかったでしょう。意味がないからです。

さて、話を本の中身に移しましょう。ローマ史を扱う研究者のなかには、コンスタンティヌスまででやめてしまう人が少なくないらしいです。それは、コンスタンティヌスからローマではなくなるからとのことです。政治の仕組みが変わり、信仰の面でもキリスト教を容認していく姿勢は、もはやローマではないらしいです。しかし、著者は「ローマ人」を描く物語を書いているので、「ローマ」でなくなっても「ローマ人」がいる限り書いているとのことです。

なるほど。著者の姿勢が明確に現れました。「国」を描くのか?「人」を描くのか?では、大河ドラマとやらは、何を描いているのか?テレビドラマや映画という手法は、何を描くのが適しているのか?そして、何を伝えたいのか?塩野さんは「人」を描くからこそ、時代がずれたことを同情します。この描き方のほうがフェアなような気がします。

「国」を描くことに主眼を置くほうが、登場人物に容赦ないのかもしれません。独断と偏見でしょうか。
posted by KAZZ Satoh at 15:34| Comment(0) | 関連モノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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