「日本人はなぜシュートを打たないのか?」
湯浅健二著、アスキー新書、アスキー刊
荒俣宏ものを読んだりしたため、少し間延びしてしまいましたが、ここ数日で一気に読んでしまいました。でも、なんで一気に読めたのだろう?
帯には、「決定力不足」は日本代表だけではない。とありますが、これは、湯浅さんがドイツ留学した際に身をもって体感したことです。
えっと、何が問題かと言うと、ぼくなりに掴んだのは、「そもそもサッカーとはこういうものだぜ」ということに対する認識の違いです。
ヨーロッパ人は、「不確定なものほどチャレンジして掴み取れ」と思うそうです。しかし、日本人は「不確定なものほど、より確実に」と考えてしまう。だから、シュートもなかなか打たない。誰か確実に打てる選手に回してしまう・・・
ヨーロッパ人は、「積極的にシュート打った結果が外れても怒らない。それよりも打たないほうを非難する」「サッカーはミスの積み重ねだから、だからこそリスクを犯せ」などなど。ちなみに「」のなかの文章は、ぼくが勝手にまとめたものです。
湯浅さんは、たびたび「狩猟民族」と「農耕民族」のメンタリティーの違いを照射します。ナイトとかサムライとか戦士という言い方ではありません。「狩猟民族」として括ります。
同感します。
しかし、日本人のメンタリティーについてはもう少し突っ込んで考えてみたくなります。「決定力不足」的な日本人のメンタリティーは、いつの時代まで遡るのでしょうか?江戸時代よりも遡るのでしょうか?室町を超えて、鎌倉まで行ってしまうのでしょうか?それとも、日本列島全部を「日本」化していなかった平安初期や奈良時代まで行ってしまうのでしょうか?
もし、奈良時代や飛鳥時代まで遡れるなら、当時の「日本」の人々のメンタリティーと言えてしまうのでしょうか?そうならば、当時の「日本」以外の日本列島の人々のメンタリティーは、どんなものだったのでしょうか?
まあ、どんどんサッカーから離れた展開になってしまいます。ほとんど、当然に。
ですから、最後に湯浅さんが書かれた言葉で締めくくりましょう。
「シュートにチャレンジすることは選手全員の義務である」
ぼくはこの言葉を、おやじサッカーをする上でも座右の銘にしなければなりません。ただ、ぼくが実践すると、ただの子供サッカーのごとし。かもしれません。

