「令和2年12月歌舞伎公演」
12月19日、国立劇場で歌舞伎を観てきました。午後の部のみとなりますが、「天衣紛上野初花-河内山-」「鶴亀」「雪の石橋」を観ました。歌舞伎を劇場で観るのは、おそらく40年ぶりくらいだと思います。以前は友人に誘われて国立劇場で行われる歌舞伎鑑賞教室に行ったきりです。
今回、行ってみようと思ったのは中村歌之助を観たかったからです。歌之助は兄である福之助と伯父である福助との三人で「鶴亀」に出演しました。歌舞伎の踊りを観るというのが初めてだったので、「雪の石橋」とともにとても興味深く眺めていました。飽きずに観られるということは凄いことだと、妙な感心をしながら観ていました。
「天衣紛上野初花-河内山-」は江戸城の御数寄屋坊主が主人公の話です。大大名とその家臣を言い負かす内容は、市井の人々にとっては溜飲が下がる演目だったのでしょう。おそらくは、現代よりも痛快に感じられた芝居なのだと思いました。松本白鴎が演じましたが、台詞の痛快さ。見得の切り方の妙。などなど、お芝居としてのエンターテインメントが見事だと思いました。長く生き残るものが持つ力というものを感じたように思いました。
今回の「鶴亀」は皇帝が女帝という設定に変わっているとのことです。初めて観たので「そういうもの」と思って観ましたが、そのときどきでせていを変えられる自由度があることに驚きました。伝統というものは、枠の守り方、壊し方、解釈の仕方などなどが「今の役者」に委ねられているでしょう。
「雪の石橋」は、文殊菩薩を守護する霊獣の獅子が冬牡丹に戯れる話だそうです。それを舞踊にしてしまうのが凄いなあを、ただただ感心です。なんだかよく分からない感想になりますが、この演目は、見せることに相当に勢力が注がれているものに仕上がってきたのだろうと思います。獅子を市川染五郎が演じていますが、脚が長いと思いました。日本人の身体は江戸末期に比べて相当に大きくなっていると思います。歌舞伎に限らず、能や狂言も昔とは異なる新たな身体感覚で演じられるのでしょう。それが、令和の伝統芸能なのだろうと思いました。
写真で示したプログラムを読むと、演じた役者さんたちのコメントがあります。歌之助さんのものに限らず、誰もが先代や先々代やさらにいにしえの役者の名前を挙げながら語っています。こういうものを読んでいくと「沼」と呼ばれるものが目の前に大きく現れてくるようになるのでしょう。そうなると、年に何度かは鑑賞に通う人生となるのでしょう。
posted by KAZZ Satoh at 12:44|
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