2008年05月13日

まちづくり関連本、など 00197

Aたべもの日本史.JPG

イラスト版 たべもの日本史」
長山久夫著、河出書房新社刊、1998年、我孫子市民図書館蔵

イラストも著者が描かれています。味わい深いイラストです。本当に食材が好きなのだろうと感じました。
 著者は、食事復元研究の第一人者だそうです。「食事復元研究」という分野があることを考えたことがなかったのですが、あるべきだろうと思いました。

建築勉強するということは、すなわち歴史の勉強をすることと同義だ。と、言われる方がいます。現在、建築を創るために過去の変遷を知りなさい、と言われる訳です。

という考え方を、そのまま現在の農業や漁業に当てはめて考えることは大事なことかもしれない。と、感じました。
 裏を返せば、今、農業をやられている方々は、地域の農業史をどのくらい遡れるのだろう?あるいは、その地域はどのような食生活を営んできたのだろう?ということを、どのくらい把握できるのでしょうか?

もっとも、建築の人々も地域の住生活の歴史を掘り下げることなど簡単にはできません。
 それでも、建築の分野には民家研究があります。数少ない事例からでも、民家から食事の在り様も見えることでしょうから、長山さんの仕事は建築の人間にとっても貴重な資料のひとつだと思います。


実は、まだ読んでいません。食に関する別の本を読んでいます。こちらはこちらで興味深い話が満載です。これを踏まえてから、「たべもの日本史」を読みます。そのほうが、身に染みるだろうと思いました。
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2008年05月07日

まちづくり関連本、など 00196

Aこの世界の片隅に.JPG

「この世界の片隅に(上)」
こうの史代著、双葉社刊、2008年

この本は、先にブログに書いた「長い道」よりも先に買っていました。この話が単行本として完結していないので、書かずに置こうと思っていました。

タイトルだけを見ると浜田省吾の歌のようですが、第二次大戦中の広島が舞台です。

こうのさんのマンガのどういうところが好きなのかというと、もしかしたら当時の空気が感じられるかもしれない、と思えるところです。この感覚が、ぼくのなかでは杉浦日向子さんのマンガに通じます。絵に書かれていない空白の部分に、その時代の空気を感じるような気がします。

それと、独特なテンポ感ですね。現代のテンポとは異なる「速さ」に惹かれるようです。
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2008年05月06日

まちづくり関連本、など 00195

Aついていったら、だまされる.JPG

「ついていったら、だまされる」
多田文明著、よりみちパン!セ、理論社刊、2007年、我孫子市民図書館蔵

ショッキングタイトルです。この著者は潜入ルポで評判の方とのことです。自ら、引っ掛かって、どれだけのことが起きるのか?を実体験されているそうです。本当に世の中にはスゴイ人がいるものです。どんな立派な人よりスゴイかもしれません。

騙しの手口は多種多様ですが、やっていることは共通しています。騙される人々の心をくすぐることです。何にくすぐられるか?(あるいは、何に心を奪われるか?)は人によって様々です。欲にひかれることもあります。心配事にひかれることもあります。自分だけは大丈夫!と思っている人に限って引っ掛かると書かれています。

根本的なことを忘れないようにしようと思いました。「経済社会」というまでもなく、社会は「金を稼ぐ」ことで成立しています。声をかけるということは、かける人にとってなんらかのメリットがあるから行為を起こします。たとえ、それが全くの善意であり、まったく被害を被らない類のものであっても、なんらかのメリットが生じます。

世知辛く生きよう!という話ではなく、冷静に考えれば、世の中はそういうものだということです。ぼく自信が誰かに何か声をかけるとき、結局は何かメリットが生じるからだと思います。それが何か?儲け話でないことも沢山あるでしょう。儲け話もあるでしょう。「貨幣」が絡まなくても、貨幣が絡むときに生じる何かしらかが生じます。
 おそらく、マルクスは「資本論」でそういうことを言おうとしたのではないでしょうか?経済の話をしたのではない。と、思いっきり言い切って読み直してみると、何か発見するかもしれません(もっとも、資本論をまともに読んだことはありませんが)。


この本は、教育委員会推薦図書であるべきだと感じました。各学校に裁定1冊はあったほうがいいですね。そして、親たちが回し読み、、、いえいえ、親たちは買うのがいいですね。このシリーズの「子どものためのドラッグ大全」とともに。「みんなの保健体育」は任意ということでいいですね。


おっと、日立台に行く時間になりました。今日は、手ごわいです。相手は神戸です。
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2008年05月03日

まちづくり関連本、など 00194

A長い道.JPG

「長い道」
こうの史代著、双葉社刊、2005年

これを古本屋でみつけました。

読後感は、なんだか靄につつまれたような感じです。杉浦日向子さんのマンガを読んだときに感じたような、暖かいのだけど、掴みようがなくて、身近なようで、限りなく遠いようで、ハッピーエンドのようで、実は重い日常が続いているようで・・・・リアルなようで、まったくの御伽噺のようで・・・・

たぶん、主人公の女性が孤高な人に思えるからでしょう。人と一緒にいるのがよいけど、いないことを受け止めてしまい、それなりに生きようとしてしまう姿が、やんわりとのしかかってきます。真綿で締め付けられるように切なさが大きくなっていきます。

こうのさんの本を本屋で見つけてしまわないようにしよう。なぜなら、また手にとってしまいそうだからです。
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2008年05月02日

まちづくり関連本、など 00193

A「美しい」ってなんだろう?.JPG


「『美しい』ってなんだろう?」
森村泰昌著、よりみちパン!セ、理論社、2007、我孫子市民図書館蔵

表紙の右上のほうに美術書としてのどうのこうのというマークがあります。つまり、美術の正統な理論書として位置づけられているということなのでしょう。それは、図版の版権の問題に絡むのかもしれません。

いずれにせよ、善い本だと思いました。読める時間は、なるべくこれを読みました。そして、「美しい」と「美術」の狭間のことや、「かっこいい」や「かわいい」「こわい」などと「美しい」の間柄のことなどを考えました。

おそらくぼくたちは「美術」を見るとき「作品」を見ようとするのでしょう。でも、もっと突っ込んで見ると、それが「美しい」のか否か?というところに行き着くような気がします。

では、「美しい」と「作品」の間にはどのような邂逅があるのでしょうか?それは、この本を読みながら考えるのが善いのでしょう。
 たぶん、「美術」をしようとせずに「美しい」ということを考えていれば、解放されるのかもしれません。「かたち」に著さなければならなにのは作家のサガだと思いますが、作らない人まで「かたち」に縛られる必要はないのでしょう。

で、結論は書かれているのか?当然、書かれています。しかし、それを結論と思うかどうかは、読み手次第だと感じました。
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2008年04月24日

まちづくり関連本、など 00192

A京都、オトナの修学旅行.JPG

京都、オトナの修学旅行」
山下裕二×赤瀬川原平著、淡交社刊、2001、我孫子市民図書館蔵

もう、この表紙だけで充分にアヤシイ。当然、借りました。今、手元にあるのですから、言うまでもないことですが。
 山下さんは日本美術史の先生だそうです。赤瀬川さんは、説明するまでもないでしょう。

淡交社という出版社は京都にありますが、いいですね。このような本を出版してくれるので。ありがたいです。対談形式なので読みやすいですし、日常生活と寺社仏閣や日本美術が連続している感じがします。
 やはり襖絵や屏風絵などは、それだけを取り出して鑑賞するのでは何か大事なものを見失うのでしょうね。納まるべき場所にあるからこその表現なのだと改めて思いました。

対話のなかで垣間見える「近代のものの見方」に対する考えも興味深く読みました。作家性を意識しない表現のあり方を考え直す修学旅行でもあったのでしょう。
 この本は雑誌の連載をまとめたものだそうです。連載は2000年。単行本化は2001年。おそらく世紀末を踏まえての行動だったのだと思います。

で、この本を読んで京都に行きたくなったか?と問われれば、否と応えます。なぜなら、この本を読む動機が「京都に行きたい」だからです。読んでも読まなくても、京都には行かなくてはならないと思っています。いつも。
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2008年04月23日

まちづくり関連本、など 00191

A直島 瀬戸内アートの楽園.JPG

「直島 瀬戸内アートの楽園
秋元雄史、安藤忠雄ほか著、とんぼの本/新潮社刊、2006、我孫子市民図書館蔵

とんぼの本シリーズは読みやすくて好きです。この本は、買わないといけない本のひとつなのだと感じました。自分にとって。

アートがまちを再建している最高の事例だと思います。アートラインかしわに関わったおかげで、世界の事例を知る機会に恵まれましたが、それら(例えばナントやニューキャッスル/ゲイツヘッドなど)と肩を並べる場所だと思います。

いちばん痺れたのは、「護王神社」でした。
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2008年04月17日

まちづくり関連本、など 00190

APEN バスクの旅へ.JPG

PEN 2008年5月1日号、阪急コミュニケーションズ刊

「バスクの旅へ」とあります。電車の中刷り広告を見て買ってしまいました。この写真のせいです。ですから、ぼくは「バスク」を求めたのではありません。「ビルバオ」を求めました。

「グッゲンハイムもあるビルバオ」です。ビルバオが興味深いのは、グッゲンハイムがあるだけではないからです。グッゲンハイムばかり有名ですが、そのほかにも「建築の力」を感じさせる建造物が幾つもあります。「建造物」と記すのは、橋なども土木モノもあるからです。橋のひとつは、昨日ブログにしたカラトラバが設計しています。


ビルバオの成功を見て、いろいろと考えます。ここは、いわゆる「箱物行政」ではないのでしょう。箱物行政の考え方の根底には、「建物つくれば人が集まるだろう」的な感覚ではないかと思いました。でも、それでは人は集まりません。
 しかし、昨今、日本でもそうですが「建築」を目指して多くの人が集まる現象が顕著になりました。「建築で人を呼ぶ」という箱物行政的な考え方ではなく、「建築が人を呼ぶ」考え方で創られているのだと感じます。「で」と「が」の違いは大きな違いです。キーボードの入力ミスでは済まされない大きな差があります。

追伸:しかしながら、もっとも驚いたのは、表紙をめくったときに現れるルイ・ヴィトンの広告でした。
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2008年04月16日

まちづくり関連本、など 00189

Aサンチャゴ・カラトラバ.JPG

建築家の講義−サンチャゴ・カラトラバ」
サンチャゴ・カラトラバ著、金箱温春訳、丸善刊、2008年

この人はスペイン人だそうです。建築家という表現より、本書「序の一」にあるようにアーキテクト・エンジニアというのが適しているのでしょう。

土木構築物はムダを省くもので、建築のようなお飾りはいらない。などと、昔、聞いたことを思い出します。いつから、このような発想をするようになったのだろう?と、ずっと思っています。しかし、カラトラバを前にすると、そのような発想は必ずしも豊かではないということに気がつきます。

ぼくはこの本を読んで、レオナルド・ダ・ヴィンチを思い浮かべました。レオナルドは「芸術家」と称されますが、建築・土木分野に限定してみれば、カラトラバがそうであるようにアーキテクト・エンジニアというのが適していると思います。
 同時に、技術と美術の両方を絡め取れる人は多くないのだろう、と、改めて思いました。

カラトラバはレオナルドの末裔なんでしょうね。
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2008年04月09日

まちづくり関連本、など 00187

Aルイス・カーン 建築家の講義.JPG

建築家の講義 ルイス・カーン」
ルイス・カーン著、香山壽夫訳(+富岡義人訳)、丸善刊、2007年

「建築家の講義」シリーズの3冊目です。1968年にライス大学で行われた講義録ですが、書かれた文章は詩のごとく並べられています。香山さんの「あとがき」にあるように、原書がそのようであったそうです。そして、なぜ原書から詩のごとく言葉が並べられたかについては「まえがき」にあたる文章をもってパパデメトリュウーが解説しています。

カーンが話す言葉は美しく、ときには詩的すぎる。などと、何かの本で読んだことがあるな。。。などと思い出しながら講義録を読みました。そして、もしかしたら多くのカーンに関する書物を漁るより、この講義録を3回くらい読みこむほうがカーンに近づけるのではないだろうか?などと、強引なことを思いました。

当然、この薄い詩集(性格には講義録)を読んだだけでカーンのすべてが理解できる訳ではありません。それは充分に分かった上で、それでもこの本を真っ先に読むのがいいだろう、と思いました。


さて、今は春です。日本では、新しい年度が始まりました。今年も多くの建築系学生が誕生したことでしょう。そのような人が、カーンのこの講義録を読んだら、何を想うのでしょうか?
 おそらく、建築を語ることは美しい行為だと気付く人がいることでしょう。願わくば、建築を語ることは、世界に溢れる建築以外の様々なことを語るのと同じく美しいことだ、と想ってもらえるといいです。
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2008年04月08日

まちづくり関連本、など 00186

A飛雲閣ものがたり.JPG

「飛雲閣ものがたり」
荒木経惟著、本願寺出版社刊、我孫子市民図書館蔵

面白いものです。荒木さんの作品と思ってしまうと、飛雲閣でさえ荒木色に見えます。国宝の建造物だけの写真集ですが、どうも荒木色をプンプン感じます。
 それは、読むこちら側の問題でしょう。

匿名で写真を並べられたらどうでしょうか?それでも荒木色を嗅ぎ取ることができるでしょうか?なんとなく、荒木っぽいな、と感じるかもしれません。まったく感じないかもしれません。

この写真集は、荒木さんと飛雲閣がせめぎあっているように感じます。荒木色にねじ伏せられているように思っていると、ぐわあと飛雲閣が現れてきます。なんだか、すごいモノを観ているような気がして、クラクラしました。

一番クラクラするのは、この本が「本願寺出版社」というところから発行されていることです。つまり、「公認」です。このことがスゴイと思いました。
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2008年03月28日

まちづくり関連本、など 00185

Aレム・コールハウス.JPG

「建築家の講義 レム・コールハース」
岸田省吾監訳、秋吉正雄訳、丸善刊

なんでこのような本を読むのかと言うと、建築学会の会誌3月号の特集が「レム・コールハース以降の建築理論」だったからです。フツウは、コールハウスの著書「錯乱のニューヨーク」のページをめくるのでしょうが、薄いこちらに手を出しました。

1991年にアメリカの大学で行われた講義の様子が納められています。1991というタイミングを出版していることに恐れ入りました。欧州統合はその直後に現実のものとなったからです。
 ちなみに、ずっと前に記事にしたル・コルビュジエの講義は1942年に行われています。こちらは第二次世界大戦中の講義ということになります。

時代が大きく変化する直前に建築家たちが何を語ったのか?という記録でもあるのでしょう。コールハースは、そのことに自覚的に講義をしたようです。
 コルビュジエとコールハースの共通点というと、建築家としての仕事だけでなく編集者あるいは出版者(こんな言い方があるのかな?)としての側面です。どちらの方も「言葉」を最大限に駆使し、自分の強力な武器にしているように感じます。「空間」が放つ力を知っていて、なおかつ「言葉」が放つ別の力も充分に知っている人たちだと感じます。


コールハースは講義の冒頭に「建築は危険な職業です」と言います。もちろん、労働基準局的な意味合いではありません。では、どいうことなのか?
 それは、コールハースが何を言ったか、というところに答えはないと感じました。なぜなら、この本を読んだぼく自身が「危険」と感じているかどうかが問題だと思うからです。ぼくの場合は、自分の内面において、建築(を考える行為)は十分に危険です。身体と脳みそがバラバラになりそうに思うときがあるからです。疲れが溜まっただけかもしれませんけど。。。あるいは、風邪引いているときに仕事しようとするから?。。。



A080327 建築家の講義001.JPG

ブックカバー

春らしいカバーをつけました。去年のカレンダーの絵です。どこかの子どもが描いたものです。もっともコールハースに似つかわしくないかもしれません。しかし、ある見方をすると、もっとも似合っているかもしれません。



A080327 建築家の講義003.JPG

「伝承」

コールハースを終えて、今はカーンを読んでいます。コルビュジエ、カーン、コールハースは講義が行われた年代順に並んでいます。

ブックカバーは、カーンに伝承されました。どうでもいい話ですみません。しかし、自分のなかでは、なかなか面白い遊びです。たぶん、風邪引いて頭がぼおおとしているからでしょう。
 今日は、もう寝たいです。
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2008年03月22日

まちづくり関連本、など 00184

Aへそもち.JPG

「へそもち」
渡辺茂男作、赤羽末吉絵、福音館書店

ぼくは、この本を昔から知っています。しかし、文章が書かれていない絵だけの本をずっと見ていました。そして、文章を読む代わりにテープ英語日本語を聞いていました。

日本語は、確か、野村万作さんだったと思います。ぼくは、万作さん(たぶん)の声が好きでした。もちろん、子どものころは野村万作という名前も知りませんし、どのようなことをしている人かも知りませんでした。

ぼくは、文章のない絵本を眺めていたことで、おそらく「声」の力を知ることが出来たのだと思います。「急いで、次のページに行こう」だったか、このように言われると楽しく慌てたものです。
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2008年03月08日

まちづくり関連本、など 00183

A080128 STAR WARS POP UP001.JPG

STAR WARS A POP-UP GALAXY!」

1978年、映画が公開されたとき、日劇(今のマリオン)で観ました。しかしながら、スター・ウォーズについて特別の思い入れを持っていなかったのですが、我が家にこのようなものが存在します。

ポップアップ・ギャラクシーです。「飛び出す銀河」とでも訳しましょうか。義兄から、うちの子供たちへのクリスマスプレゼントです。昨年の12月に頂きました。



A080128 STAR WARS POP UP002.JPG

「なんだか怖い」

この厚みが怖いです。中を開けるのも怖いです。飛び出す絵本を破いてしまいそうで。壊してしまいそうで。

ちなみに、中味は全部、英文です。



A080128 STAR WARS POP UP003.JPG

「当然、測る」

7センチです。だいたい。左側に写るのは、クマ笹エキスの試供品です。どうでもいいですね。

不思議の国のアリスとか、オズの魔法使いとか、同じような豪華に飛び出す絵本が六本木ヒルズのミュージアム・ショップにあったような気がしました。
 ダースベーダーたちが豪華に飛び出すので、これは、なんだか仕事に使えるような気がしてきます。


すみません。スター・ウォーズに思い入れが足りないままの記述で。

それよりも、今日(3月8日)はJリーグ開幕日です。陰暦では、如月一日。偶然でしょうが、春が来たな!という気分です。
 レイソルは明日が試合なので、今日は、ちょっとノンビリしています。あ、トト・ビッグを買い忘れた。。。。現場(リフォーム工事)から連絡が入り、そちらに急遽向かったことで、買い忘れました。。。。
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2008年03月04日

まちづくり関連本、など 00182

Aリアル鬼ごっこ(映画).JPG

「リアル鬼ごっこ
監督・脚本:柴田一成、原作:山田悠介、2007年製作

驚きました。とても面白い映画でした。小学生の長男がどうしても観たい!というので、自分のスケジュールを吟味しました。ようやく、3月2日(日)の12時50分上映、場所は柏の葉、ということならなんとかなることを掴みました。

映画は14時35分まで、とありました。ですから、だいたい90分くらいと思いました。この時点で、もしかしたらこの映画は面白いかもしれない、と感じました。なぜなら、パトリス・ル・コント監督の映画の大半が90分ほどのはずだからです。90分から100分という時間がつくるタイトな感じがいいのかもしれません。


ぼくは原作を読んでいません。一方、長男や友だちの間では、山田悠介は大ブレークしているようです。
 原作を知らないぼくは、単純に映画そのものの面白さを堪能しました。一方、長男は長男で映像が構築する物語世界を楽しんでいたようです。


この時期、デス・ノートやワン・ピース、ケロロ軍曹などマンガ原作のものやアニメものなどがシネマコンプレックスでは上映されています。そして、そちらのほうが上映館の数も多いようです。「リアル鬼ごっこ」を上映する映画館が、先に挙げたものと同じくらい増えるといいのにな。と、思いました。

ぼくは、あまり映画を観る機会をもてないのですが、もしかするとこの映画が2008年のベスト3に入るような気がしました。


映画を観終わった後、ドキドキ感がなかなか納まりませんでした。それを引きずりながら、ぼくは、向かいのUDCKへ遅刻承知で向かいました。
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2008年02月27日

まちづくり関連本、など 00181

A落語へ行こう.JPG

「柳家花緑と 落語へ行こう」
柳家花緑著、旬報社まんぼうシリーズ、2002年11月、我孫子市民図書館蔵

ワープロで「やなぎやかろく」と入力すると、「柳家家禄」と出ます。あらあら、こんなじゃいけねぇや、てんで、「家禄」を消しまして、「はな」と打ちます。そして「花」と出ます。次に「ろく」と試しに打ちますってぇと、今日びのパソコンも頭良くなったもんだぁ。ちゃんと「緑」と出ます。
 
ここで、初めて気付きました。この落語家さんのお名前、美しいなあ、と。「柳」の「家」に「花」と「緑」ですからね。いやあ、大したもんだ。名前だけで絵になっちまう。

しかし、今頃気付いているようじゃ、いけませんねぇ。だいたい、この本だってそうだ。何回も図書館に借りては、読まずに返すを繰り返して。
 NHKの連ドラ「ちりとてちん」にハマって、慌てて思い出して、ようやく読み終わるという粗忽ぶり。こういう性格は、なかなか直るもんじゃありません。


いやあ、花緑さん、大したもんだ。名前も綺麗だが、考え方もしっかりしてる。関東の落語は四つの団体があるそうですが、それぞれの核となる人と対談して、落語界の将来を一緒に考えようとするなんて凄いですよ。
 それで見えてくるのが、談志さんも円楽さんも小遊三さんも小朝さんも、そういうことを皆さんなりに考えていることです。でも、なかなか上手くできなかった。でも、これからも努力しなきゃなんない。そして、落語界の中ばかり見ていちゃいけない。と、考えています。

なかなか読まなかったのでなんですが、読み始めてみるとすぐに読めてしまいました。そして、考えさせられることが沢山ありました。まあ、「ちりとてちん」を見たことで、理解できる話が増えたからなんだと思いますが。
 時期が良かったんでしょうね。この本を読むのの。木久扇、木久蔵のW襲名披露も観た後ですし。


落語のことは詳しくないので(もっとも詳しいものなんて、ほとんどないのですが)、この辺りでお終いになりますが、大変な芸ですよね。衣装が変わるわけでもなし。歩きまわるわけでもなし。小道具は扇子と手拭いと拍子木くらいだし。メイクするわけでもなし。

自分に有利な武器をほとんど使わない芸ですね。でも、これは「日本」そのものかもしれませんね。楽器と似ているような気がします。大陸から渡ってきた楽器は、日本で改変されているそうです。音が出難い方向に。尺八がいい例だそうです。何も、わざわざあんなかすれた音ばかり出るもの作らなくてもいいのに、と思ったりもします。

短歌や俳句も似ているのかもしれませんね。制約をかけることで、かえって表現の可能性が増すのかもしれません。少なくとも、別のやり方が開けるのは間違いないと、ぼくにも分かります。


気付けばダラダラと、出前のラーメンのように延びてしまいました。
この辺で失礼します。いつまでも油売っているわけにはいきません。昼の再放送が始まってしまいます。
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2008年02月26日

まちづくり関連本、など 00180

A人類と建築の歴史.JPG

「人類と建築の歴史」
藤森照信著、ちくまプリマー新書012、筑摩書房刊、2005年5月

驚きました。6章からなりますが、4章までが所謂、古代から古事記くらいまで(日本で言うならば)。5章の表題が「青銅器時代から産業革命まで」。6章が、「二十世紀モダニズム」です。

5章だけで、2000年くらいの時間をすっ飛ばしています。普通の建築史でしたら、この期間が最も重要なはずです。
 
おかげで、自分のなかのモヤモヤとしてた霧が晴れました。藤森さんは書きます。「地母神が人をやさしく包む母のような内部を、太陽神が人の眼前にそびえる父のような外観をもたらし、ここに内外二つそろって、ついに人類は<建築>を手に入れた」と。
 さらに、「住いは個々人のものだが、建築は個々人を超える神や社会のもので、その時代の人々の共同意識が作り出し、そして一たび作り出されるや、逆に人々の意識を組織化する」と書きます。


そもそも建築とは何か?藤森さんは、これを説きたかったのでしょう。建築を学校で学んだ人々の多くは、テーマが根源的すぎるので分かったつもりになっているか、分からないけど(分かる機会を失ったままだけど)無関心でいても差し支えない、と思っているかもしれないコトを確認したかったのではないでしょうか。

建築を哲学的に捉える(あるいは捉えなおす)試みは、現代ではどのくらいあるのでしょうか?ぼくは不勉強なので分かっていませんが、この本は、そのひとつなのでしょう。


この小さな本のおかげで、ぼくは建築の首根っこを掴んだような気になりました。もっとも、そんな簡単なものではないことは分かっているつもりです。でも、もしかしたら答えは、すごく分かりやすくこじんまりとしているような気がしないでもありません。
 この本に書かれているものを掴んでおけば、ブレることはないかもしれません。所謂、玉(ぎょく)のようなものが、この本にあるような気がしました。

大袈裟でしょうか。そして、そんなこというのは安易すぎるでしょうか。たぶん、そうなのでしょう。
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2008年02月20日

まちづくり関連本、など 00179

A日本異界絵巻.JPG

「日本異界絵巻」
小松和彦、宮田登、鎌田東二、南伸坊著、ちくま文庫、1999年1月

これを手に入れたのは、確か、2006年11月です。場所は、カタクラショッピングセンター内の古本屋です。この場所は、もうありません。おっと、茨城県取手市です。取手アートプロジェクトの催しに参加したときに見つけました。

アートの話を聞きにいったからでしょうか。「異界」の本に出会いました。しかも、文庫で古本です。
 これ一冊あれば、大概の異界ものを網羅できるでしょう。しかも南さんのイラスト付で。異界カテゴリーに組み込まれているのは、想像上の者たちだけではありません。歴史上実在(と言われている)の人々も沢山います。ですから、この本は凄いです。

単行本としては1990年8月に刊行されたそうです。つまり、いまから、約20年くらい前までの「異界」な方々が書かれています。そのことを象徴的に示すのは、殿(しんがり)に控える者です。最後に紹介されているのが、ナウシカアキラです。
 アキラと言っても、ニシキノとかフィンガー5ではありません。言うまでもないことですが。

あ、もう時間が無い。
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2008年02月17日

まちづくり関連本、など 00177

A学校のモンスター.JPG

「学校のモンスター
諏訪哲二著、中公新書ラクレ、中央公論新社刊、2007年10月

僕は一応、親でして、そんでもって分不相応にもPTA関係などにも関わっているものですから、このような本を読みます。

読んでみて、驚きました。この本に書かれている「彼ら」とは誰なのか?見えたような気がします。それは、「児童」を指しているのではないのだと感じました。
 読んでいる途中から、「学校のモンスター」というタイトルは、もしかしたら、浦沢直樹著「モンスター」に掛けているのではないか?と思うようになりました。


「はじめに」に相当するところに、「若い人たちへ」という章があります。そして、「おわりに」に相当するところに、「大人の世代へ おわりに代えて」があります。
 著者が語り掛けたい相手は、ある特定の世代でありませんでした。ある特定の職種の人々ではありませんでした。おそらく、今を生きる全ての日本人に語り掛けたかったのではないでしょうか。

ぼくは、学校教育の問題をケーススタディとした哲学書という感じがしました。


著者の諏訪さんは1941年生まれだそうです。ということは、昭和16年生まれです。諏訪さんの個人的体験では、生徒の感覚が変わったと感じたのは、教職について間もない頃だったそうです。では、そのときの生徒たちは誰だったのか、というと、団塊の世代と呼ばれる人々です。
 諏訪さんの個人的な体感が、普遍的な認識といえるものであるとしたなら、今現在、学校で生じている諸問題は相当に根深いのかもしれない。と、思いました。なぜなら、団塊の世代と言われる方々は、おじいさんやおばあさんとなり孫を授かるようになってきているからです。

諏訪さんが書かれていることを頼りにコトの問題解決を図ろうとするならば、高度成長期を支えた世代やそれ以前の世代が行ってきてしまったことの検証から始めるべきなのかもしれません。


この本で、昔何度も聞いた言葉を目にしました。「シニフィエ」と「シニフィアン」です。諏訪さんは、「シニフィエ」を「言ったと思っていること」と書きます。そして、「シニフィアン」を「言ってしまっていること(相手に伝わっていること)」と書きます。
 シニフィエとシニフィアンが必ずしも一致しない。ということを理解する人と、理解できない人がいるのだろう。ということを、改めて感じました。だから、大人もキレる。


長くなって恐縮ですが、諏訪さんはもっと凄いことちゃんと書きます。「もう近代なんて、とっくに終わっているんだ」ということを。「ポストモダン」な時代に生きているのだということを。
 ポストモダンは何か?という話ではなく、「もう近代なんて終わっている」という認識を持てないことが問題なのだ、と言うことです。

諏訪さんも書かれていますが、「近代化された自我」なんてものを獲得するならば、そこには今までにない地平が広がっているはずです。それは、おそらく文字通りの「FREE」な荒野なのではないかと、思いました。
 近代的自我を獲得することが教育ならば、「昔はよかった、、、」などと言ってはいけないなずだろうと、思います。「昔」とは異なる価値観をガンガンに身につけさせておきながら、そして、自分自身も身につける努力をしておきながら、地域や地縁に頼るというのでは矛盾を孕むのも当然なのかもしれません。


近年、「まちづくり」の視点で地縁の大切さが言われます。安心・安全のまちづくり、とか防犯の観点から、重要視されていると感じます。
 もし、地縁的なものが復活、あるいは再生、もしくは新しく構築されるならば、それは、かつての地縁的なものとは完全に異なるものなのだと思ったほうが善いのでしょう。

勘違いしたまま町会や親子会に関わってはいけないと、ぼくは自分に強く言い聞かせなければなりません。なぜなら、街に生きていくことを決意すると、そのような役割を担うよう話が来るからです。
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2008年02月02日

まちづくり関連本、など 00176

Aある都市のれきし.JPG

「ある都市のれきし−横浜・330年」
北沢猛・著、内山正・絵、福音館刊「たくさんのふしぎ」、1986年1月、我孫子市民図書館蔵

このような企画は貴重です。鳥瞰図で横浜の移り変わりが描かれています。地図でなく鳥瞰図なのがいいです。しかも、手描きの風合いに満ちた絵で描かれているのが最高です。
 できることなら、日本全国の各都市を同じ視点で本にしてほしいと思います。そうすれば、小学生の授業でも役立つでしょうし、各都市の比較も行いやすいでしょう。

文章を書かれた北沢さんは、現在では東大の教授をされていて、かつUDCK(柏の葉アーバンデザインセンター)のセンター長をされています。
 UDCKでは月に1度のペースで、Kサロンが開かれます。そこでは、東大や千葉大、東京理科大などの教授や学生たちとフランクな会話が楽しめます。

ぼくは、そういうところにのこのと出かけていくものですから、北沢先生にもお目にかかることができました。ほんの少しでも、直接お話をできるのは、町場の人間にとっては貴重です。


「たくさんのふしぎ」というシリーズは、小学中級むきと書かれています。こういう本は、大人こそが読むべきだろうと思います。どれだけ分かりやすく表現できるのか?という難題の答えのひとつだと思うからです。
 それは、親として子どもと向き合うための所作に留まらず、高齢者とコミュニケーションをとるにも必要なことだと思います。
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