2017年04月29日

まちづくり関連本、など 1350

Aふなのりのやん.JPG

「ふなのり の やん」
デジック・ブルーナ ぶん/え、まつおか きょうこ やく、福音館書店、2017

4月10日発行となっています。ブルーナさんが2月16日に亡くなったことを受けての発行なのでしょうか。よく分かりませんが、一冊買いました。テレビでブルーナさんが紹介された際に、どの絵本も同じ6色を使っているとありました。青でも黄色でも緑でも赤でも、微妙な変化をさせるということをせずに決めた色だけで構成しているとは、凄いことです。

その凄さを実感するためには、購入しなければならないと思いました。そして、柏の浅野書店に行き、何冊かあるなかから写真にあるものを選びました。分かりやすく言えば、ミッフィーを避けたのです。それは、自分が「うさこちゃん」の固定観念を外したかったからです。

見事だと思いました。もう何冊か、ほしくなりました。
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2017年04月28日

まちづくり関連本、など 1349

Aローマ人の物語 31.JPG

「ローマ人の物語 31 終わりの始まり[下]」
塩野七生著、新潮文庫、2007

思ったよりも早く、読み終えることができました。おそらく、塩野節に慣れたのでしょう。この勢いで、次の巻に向かえそうです。

さて、読むペースは早まれど、ローマの憩いは下降していきますので、こちらの気分は高揚しません。ですが、とても参考になります。どうすれば下手を打つか、という視点において。[中]の巻でも書きましたが、見通しをどのように持つのか?ということは大変に難しいと思います。この巻で塩野さんは、おそらく本音だろうことを書いています。冷酷な者が生き残るというような意味合いのことを。

「善意」とは何なのでしょうか。「正しさ」とは何なのでしょうか。目の前の評価が気になりすぎると身を亡ぼすという事実は、教訓なのでしょうか。「終わりの始まり」では二人の皇帝が家族思いであったにも関わらず、その子供たちが兄弟間で争うことになったことが書かれています。家族のことと、経営のことが混同されると、このような悲劇に見舞われるということでしょうか。

では、後継ぎたちは何を考えていたのでしょう。何をしたかったのでしょう。何をできると思ったのでしょう。何をしなければならなかったのでしょう。自ら知り得ようとすればできないことはなかったのでしょうが、それはどのくらいなされたのでしょうか。ボンクラでもなんとかなると思っていたのでしょうか。それとも、自分は優秀であると確信していたのでしょうか。
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2017年04月27日

まちづくり関連本、など 1348

A建築MAP大坂神戸.JPG

「建築MAP大阪/神戸」
ギャラリー間編集、TOTO出版、1999

帯に「待望の」とかかれています。これが出版されたのが20世紀末。あれから10数年経って、ようやく活用することができました。3月31〜4月2日まで、神戸に滞在したからです。

一応建築関係に属しているので、出かけるからには「建築」をどのように眺めて来るかを考えます。家族旅行と言えども、通過するだけでも眺められればモウケモノと思うことにしています。

1999年に発売されているので、21世紀に入ってからの「建築」は紹介されていません。かわりに、すでに亡くなってしまった「建築」を知ることにもなります。できることなら、敢えて「1999年版」「2017年版」などと記して刊行を続けていただきたいと思いました。アーカイブという意味で。
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2017年04月26日

まちづくり関連本、など 1347

Aローマ人の物語 30.JPG

「ローマ人の物語 30 終わりの始まり[中]」
塩野七生著、新潮文庫、2007

マルクス・アウレリウスから実施コモドゥスへの移行が記された巻ですが、こうやって浜悦へむかうのだと理解しました。

著者は一貫して「人」を描きます。「人」が何を考えたのか?何を考えなかったのか?なぜなのか?そして、何を決断したのか?しなかったのか?さらに、何を実行したのか?しなかったのか?できなかった理由はどこにあるのか?

塩野さんは歴史書を書いている訳ではないと思うようになりました。遅すぎる発見なのでしょう。多くの方は、すでに気がついていることなのでしょう。歴史に登場する「人」を解明していくことで、「なぜそうなってしまったのか?」を解き明かすことを延々とやっているのでしょう。ですから、そのような視点で読み直すと、とても興味深く思えます。

コモドゥスは、個人としては有能だったのか?もし、学校の成績がよいようなタイプであったとしたなら、足りなかったのは指導者の力量なのかもしれません。つまりは、親の甘さがローマを滅亡に導いているのだと思えます。

同じようなことは、現代の日本でも起こっているように感じます。国会のレベルの話から町会レベルの話に至るまで。町会や商店会が機能不全に陥っているのは、今から20〜30年前の方々の読みの甘さが指摘されるような時代が来るでしょう。その当時の方々への同情は起こりますが、責任は重大だと思います。町会や商店会に携わった方々だけに責任を求めるのではなく、実は自治体の長や担当者たちの力量が問われるべきだと思います。まったく何も考えてこなかったツケは、「ローマ人の物語」で解き明かされているのですから。

著者がコモドゥスを大いに避難するようでもないのは、責任が彼一人のものではないことを伝えたかったからでしょう。塩野さんの書き方で、いつも面白いと思うのは、登場人物の性格までを判断基準に加えているところです。ハドリアヌスは当時の元老院からは人気がなかったとのことですが、それでも我を押し通すことができた性格をも評価します。人に好かれないことも受け止められる性格や年齢、そして経験を積んでいたかどうかということまで天秤に載せます。ですから、そのような経験も素養も知識も持つには若すぎたコモドゥスに対しては「仕方がなかったね」という気分だったのではないでしょうか。
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2017年04月17日

まちづくり関連本、など 1346

Aローマ人の物語 29.JPG

「ローマ人の物語 29 終わりの始まり[上]」
塩野七生著、新潮文庫、2007

久しぶりに再開しました。ローマ人の物語を読むには思い切りときっかけが必要です。今回は、それが巡ってきたと感じましたので読むことができました。この巻からローマの終末が具体的になってきます。ですから、この先を読み進めるのはしんどいものになるでしょう。その覚悟も必要です。

今頃になって思うのですが、塩野さんは日本でリーダーとなるべく人々へ向けて書いていたのだろうと思いました。文庫として出版された2007年よりも、単行本として出版された2002年よりも、2017年に読むことの方が身につまされるような気がするのは気のせいでしょうか。
 先代が盤石にすればするほど、次世代は「魂」の部分を引き継げないかもしれないことは、2000年も前に教訓としてあることを知ります。先代の時代と状況が異なるのですから、引き継げるものとそうでないものと生じるのは当然のことです。しかし、この29巻(文庫版)で読み取れるのは、継承すべきものは何か?という点です。

この巻に登場する皇帝たちは、水鳥が平然としている姿だけを見ていたのでしょう。水面下の足の動作は実践しなかったのでしょう。それをローマ人に当てはめるならば、ここに登場する皇帝たちが属州行脚をしていなかったことを意味します。
 しかし、これは彼らを責められるのかどうか?そのように育てられたのではないか?それこそが弱体化の始まりなのではないか?とうなると、時代がそのような選択をさせるのでしょうか?ローマは終わるべくして終わったのでしょうか?
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2017年04月06日

まちづくり関連本、など 1343

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「こんな街に『家』を買ってはいけない」
牧野知弘著、角川新書、2016

一言で言うと、何十年も前から言われていたことが現実になっているのだなあ。という印象を持ちました。「郊外住宅」という言い方でバッサリ切ってしまえないのですが、駅からバスで通うような住宅地に立つ住宅の行く末をどのように考えるのか?持ってしまった人として。あるいは、これから住宅を手に入れようとしている人として。さまざまな立場で、どのように考えればよいのか、というようなことを考えさせられます。

著者は、大手不動産会社に勤めていた経験などを基に、この本を書かれました。著者は「住宅を買う」と書きます。「住宅を建てる」とは書きません。不動産業者は流通側ですから、「建てる」というよりは「売買する」という感覚で読者に訴えかけます。一般的なニーズに応えるには、「売買」の感覚で話をするのがよいのでしょう。

しかし、建築の方面に佇んでいる立場としては、「売買」だけではなく「建てる」感覚で行く末を考える必要も感じます。「買う」感覚だけの人は、不要になったら「売る」ということでよいのかもしれません。しかし、愛着なりを持って「建てた」人たちは、「売る」という考えに頭が切り替わらないのかもしれません。そうでなくても何十年もローンを払ってきたという気持ちもありますから、簡単に「売る」という気持ちにはなれないでしょう。

それでも、頭を切り替えなくてはなりません。不動産が財産だという考え方を改めなければならないのは、今に始まったことではありません。バブルが弾けたと言われている四半世紀前からのことだったはずです。
では、「今」をどうしましょうか。それは、今からでも考え始めなければならないのでしょう。「買う」と「建てる」の言葉の違いを考えながら。
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2017年03月25日

まちづくり関連本、など 1340

A GIANT KILLING 43.JPG

「GIANT KILLING 43」
ツジトモ著、綱本将也原案・取材協力、講談社、2017

他のサッカー漫画を読まないので、この漫画の特異性がどのようなものか考えたことがないのですが、やはりすごいと思います。日本のプロサッカーにまつわるあらゆることを取り上げながら、その上でサッカーそのものの魅力を描いていると思います。

日立台でボランティア活動に関わっているので、スタジアムの描き方が。これは、日立台がモデルと言うことではなく、プロサッカーの試合そのものの描き方という意味ですが、よく取材しているなあと思います。カメラマンが選手を写真に納めるときの感情が描かれていますが、写真に撮りたくなる選手がどういうものかをカメラマンが語ります。これは、写真撮影に興味ある人は共感するでしょう。サポーターの視点だけではなく、記者の立場、カメラマンの立場、試合に行かないけど街で店をやっている人の立場、または旦那が試合に行ってしまうので店から離れられない奥さんの立場。チーム・スポンサーの立場。などなど。

全てが描かれてこそ、プロスポーツというものの在り方が考えさせられます。
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2017年03月23日

まちづくり関連本、など 1338

A都道府県の持ちかた.JPG

「都道府県の持ちかた」
バカリズム著、ポプラ社、2010

まず、ポプラ社から出版されていることに驚きます。児童書が主と思っている出版社が、このような本を出すことに嬉しい驚きを覚えました。

もしかすると、真剣に企画して辿り着いた答えなのかもしれません。どうすれば、都道府県に親しみを持ってもらえて、それぞれの概要を知るようになるのか。それが社会科だけでなく総合学習などに活かされていくのか。などを考えた挙句でしょうか。そうであれば、個人的にはなおさら嬉しいことです。

バカリズムの視点と絵が冴えています。思わず、なるほどと頷いてしまいます。そして、「各都道府県の持ちかた」を見ているうちに、それが都道府県ではないものに見えてくるところが不思議です。このような企画が増えると、世界は平和になると思います。

しかし、「持ちかた」ばかりみてしまい、概要やデータは素通りしてしまいます。ここが凡人であるところです。できる人は、ちゃんと概要やデータに目を通し、そこから更なる笑いのツボを探ることでしょう。
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2017年03月11日

まちづくり関連本、など 1337

Aマリ・アントワネット.JPG

「マリー・アントワネット」
惣領冬美著、講談社、2016

「チェーザレ」を待ち望んでいる間に、このような本が出ていました。手に取らないつもりでいたのですが、魔が差しました。

しかし、面白く読みました。主人公が輝こうとする一時期だけを描くのは、とても良い企画なのだろうと思いました。ぼくはフランス革命について詳しくは分かっていないので、誰かが悪くて誰かが正義だということに疎いですから、この本に描かれた雰囲気をそのまま楽しみます。そして、一呼吸おいてから、無理矢理に「レ・ミゼラブル」に流れ着くことになります。

このように思うと、相当に激動だったのだろうことが、ようやく分かってきます。時代が変わるということは、このようなことなのでしょう。徐々に変わるときもあるでしょうが、真っ逆さまになるようなときもあるのでしょう。このようなことを物語を通して知っておくことは大事なことです。
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2017年03月07日

まちづくり関連本、など 1336

AプリニウスV.JPG

「プリニウスX」
ヤマザキマリ+とり・みき著、新潮社、2017

この巻になってくると、主人公はプリニウスではなくボディーガードのフェリクスなのではないかと思えます。そのくらい個性が際立ってきました。主人公は博識であるがゆえに、更なる知識を追い求めます。書記の若者は、この巻に至っては従順なる服従者となっているように見えます。そうなると、主人公のイカレっぷりを読者に知らしめるのは、フェリクスしかいないのでしょう。

この漫画は、いつの時代も「科学」があることを教えてくれるとともに、それが時代の価値観によって構築されていることを教えてくれます。ですから、古代ローマの後にやってくるキリスト教世界観では見捨てられてしまうのだろうと予感させます。

このようなことを考えていくと「科学」でさえ儚いものに見えてきます。「絶対」といえるものは難しい状況の上に成り立っているのでしょう。
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2017年03月03日

まちづくり関連本、など 1335

A建築家が教える人生を変える驚異のプレゼン.JPG

「建築家が考える人生を変える驚異のプレゼン」
X-Knowiedge、2012

そうか、5年も前に発行されていたのか。それはいけません。自分のプレゼンの力が足りないことに気がつくのが遅すぎました。もう半生です。あら、猛省です。そして、謙虚に本を読み続けなければなりません。思い出しては読み、読んでは何かを発見し、繰り返しページをめくることで自分を変えていかなければなりません。

そのように思わせる本です。遅すぎましたが、観念してやり直します。
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2017年02月24日

まちづくり関連本、など 1331

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「遺族のための葬儀→法要→相続→供養」
二村祐輔監修、池田書店、2015

遺族になってから手にする本ではなくて、事前に気持ちの準備ができているとよいものだと思います。しかし、実際は難しい話です。父が亡くなって、葬儀がなんとな済んだタイミングで購入しました。ですから、この本に書かれている「葬儀」と「法要」にういては、事を進めている段階でした。

しかし、最も知るべきなのは「相続」というよりは、死亡後の「手続き」はどのようなものか?というところでしたので、役に立ちました。おかげで、葬儀が終わってからの一週間ほどで概ねの手続きを済ませることができました。真っ先に片づけなければならないのは、光熱費にかかる名義変更なのだろうと思いました。これをほったらかしにすると、口座引き落としの場合は大変です。

なんとなく感じているのは、一周忌を迎えるまでは、何かとやらなければならないことが多いのでしょう。そのように思っておけば、他の用事が舞い込んできても慌てずにすむでしょう。今年の運勢の注意事項に「重責多忙運」とあります。用心しなければなりません。
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2017年02月06日

まちづくり関連本、など 1326

A家族に迷惑をかけなければ相続の準備は、今すぐしなさい.JPG

「家族に迷惑をかけたくなければ相続の準備を今すぐしなさい」
一橋香織著、PHP研究所、2015

1月31日に見つけました。会合に向かう直前に見つけたので、購入するのをやめました。そして、2日に読みかけの本を読み終わり、3日に購入しました。

この本の主人公は、読者本人です。ある程度の年齢の方々へむけて書かれたものだと容易に理解できます。しかし、自分の場合は親からの相続のことを考えて準備を始めなければならないと思っていました。

もし、31日に買って読んでいたら「準備」だったでしょう。電車での往復2時間で読み終わるようにまとめられているので、2日の用事の行き帰りで読み終えたかもしれません。しかし、3日に買って、電車での行き帰りに読んだときは「対処」に変わっていました。

これからの何か月かは、何かと忙しくなります。
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2017年02月04日

まちづくり関連本、など 1325

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「老いる家 崩れる街」
野澤千絵著、講談社現代新書、2016

このような本を、小さいけれど大きな本と言うのだろうと思いました。そのような言い回しがあるのかどうか分かりませんが、コンパクトな大きさですが、重い内容です。多くの方が読まれるべきと思います。

この本を読んだ方は、どのように思うでしょうか?日本は、もう終わりなのかもしれない、と思うでしょうか。それとも、まだまだ大丈夫と思うでしょうか?もしかすると、都市計画の専門家たちは「手遅れなことは分かっているが、やるべきことをやらなければならない」と、思っているかもしれません。それは、延命措置なのでしょうか。それとも、春を待つための小さな蠢きなのでしょうか。

このように考えられないでしょうか。果実は腐り、やがて実は無くなります。しかし、小さいながらも種が残ります。何もなくなったところに、残された小さな種が、やがて芽吹く。ロマンチックすぎるでしょうか。
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2017年01月30日

まちづくり関連本、など 1324

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「ひまなこなべ」
文・萱野茂、絵・どいがや著、あすなろ書房、2016

柏にあるハックルベリーブックスという本屋で、どいがやさんの原画展を行っているはずです。その絵本がうちにあるので、読んでみました。

アイヌの方々の考え方はすごいなあと思いました。ヒグマが主人公なのですが、このヒグマの神様です。アイヌの方々は、あらゆるものに神が宿っていると考えますが、ヒグマの神は村人討たれることを望んでいます。村人が仕留めたお礼に祀りを行い、様々な奉納をするのですが、それをヒグマの神が天へ持ち帰ります。それで、神は奉納品をもらうために再び村人の前に現れるということです。

人の立場から「恵み」に感謝することは日本人的に違和感もなにもなく自明のことのように思うでしょう。しかし、アイヌの方々はヒグマの立場からの考えが描かれます。奉納される品々は、神様の世界にないそうです。そういう関係なのか。お互い様の関係にあります。神は、しっかりと奉る村人の下へ褒美を与えます。村人は、それに感謝の意で応えます。

自然と人間が立場を弁えながら、同等の関係のように思える「交換」の関係にあるのでしょう。そのほうが、相手を堂々と敬えるのかもしれません。上下関係がありながら、互いの足りないところを補完しあうのですから、お互いが存在しないと困ることになります。もっとも、人間側からの都合であるのでしょうけど、、、


この本を読んで感動したことは上記の世界観です。それをイデオロギー的に語るつもりは毛頭ありません。神話や民話は、他の人々にとって共通する観念もあるでしょうが、そうでないこともあります。ですから、どこかの考えだけが素晴らしいということではないと思っています。それぞれの環境や状況、そして時々の事情で物語も変わるでしょうし。
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2017年01月25日

まちづくり関連本、など 1323

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「ランド4」
山下和美著、講談社、2016

「ランド」という単語が孕む意味を、この漫画ではどれだけ多層にしているのでしょうか。物語が進む中で「ランド」の単語が益々不気味になってきました。

歴史的、あるいは民話的な寓話の様相で始まりましたが、いまでは完全にサイエンスフィクションです。今巻を読んでいるうちに「箱庭の入れ子構造」という言葉が浮かびました。「この世」の観客は何人いるのでしょう。それが、やがて表現されるのでしょう。「箱庭」あるいは「水槽」でしょうか。「スペースコロニー」も連想できます。

物語が大きく動き始めました。次巻が楽しみです。連載を読まないので、我慢です。しかし、今回は、とても疲れてました。
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2017年01月17日

まちづくり関連本、など 1322

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「a+u 538」
2015

ルイス・カーン設計のキンベル美術館のドローイングコレクションでまとめられています。これは永久保存版だと思いました。ときおり、パラパラとめくっています。

キンベル美術館を書物で最初にみたのは学生の頃でしたから30年以上前のことです。その時から、ある種の違和感を抱いたいることに、ようやく気がつきました。それまでは、自分はこの建築の素晴らしさが分かっていないのだと思ってました。しかし、どうやらそういうことではなかったようです。
 斎場のようにみえて仕方がない。ということでした。美術館ではなく斎場です。外観や配置図を眺めているときの落ち着かなさは、美術館と思えなかったことによるのだと分かりました。内部の写真やプランを観るときは、美術館と思うことに違和感はありません。しかし、外観の端正すぎる佇まいが美術館ではない何かを感じさせました。

そうか、美術館と思わなければよいのです。そのほうが自分には理解が進むのでしょう。そうして、自分なりの発見ができるかもしれません。
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2017年01月14日

まちづくり関連本、など 1320

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「海猫ツリーハウス」
木村友祐著、集英社、2010

古本を手に入れました。アマゾンに手を出しています。便利なものに慣れてしまうことのないように戒めなければなりません。

この小説もボディブローを喰らったような気持になります。「イサの氾濫」を読んでから、立て続けに4冊を読んでしまいました。どれにも共通するかもしれないことが見えてきます。主人公は、世間からはみ出している。周りからはズレている、または甘いと思われている。人一倍あれこれ考え、悩んでいる。対峙する相手は、ぼんやりと社会とか国とか勝ち組方面。そして、もうひとつ感じました。「聖地Cs」の主人公以外は、状況が大きくは変わらないこと。あるいは、その状況から離れられないこと。
 ボディブローのように感じるのは、主人公たちが新しい世界へ向かう話ではないからでしょう。今の状況の延長上に明日がくること。しかも、どこかに行けるわけでもなく同じ場所で明日を迎えるだろうこと。

海猫ツリーハウスの主人公は、小説の終わりのシーンの後はどうなるのでしょう。主人公が思っているように実行できるのでしょうか。仮に、実行できなかったとしても、生まれ変われたような気持になったかもしれません。日常を生きるということは、そういうことなのかもしれません。
 人の好さと映ることが、実は自身の無さでしかない。または、人のために尽くしていることが、自分が本当にやりたいことがないだけのことかもしれない。つまりは、対象に向き合っているのではなく、情けないだけなのかもしれません。では、どうしたらいいのか。木村さんは、小説の登場人物たちに様々な「きっかけ」を用意しています。自分も、日々のダラダラとした時間のなかで見過ごさないようにしなければなりません。そうでないと、次の扉が開きません。


白崎映美さんの「鬼うたひ」から始まった東北紀行は、木村友祐さんの最初の本に辿り着きました。なんとなくですが、済猫ツリーハウスに辿り着いたことが自分のなかでの終着点のような気がしてきました。この何か月か熱にうなされたように東北付いていましたが、気が晴れたような気がしないでもありません。
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2017年01月13日

まちづくり関連本、など 1318

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「100 de 名著 レヴィ=ストロース 野生の思考」

昨年12月は「野生の思考」でした。持っているけど持っているだけの本のひとつです。「悲しき熱帯」もとん挫しているのに、、、、という状況に朗報が舞い込みました。テレビを見終わってからテキストを読みました。そして、構造主義の考え方の基本的な部分が理解できたような気になりました。こんなことを白状すること自体、大きな問題なのですが、仕方がない。中途半端なままで過ごしてきました。

中途半端なのは、著者を深掘りしないままに来てしまったということです。フランス語につきまとうレトリックやメタファーなどが分かりにくいと思ってしまったからです。本を読むのも遅いので、輪をかけます。つまりは、知識が足りないのですね。ですから、このような番組が有り難いと思います。

中沢新一さんによる解説は、とても分かりやすいと思いました。テキストを読んだことは幸いです。テレビだけだと、平易すぎたように思いました。最後に日本の可能性が示唆されます。キリスト教社会からしてみると、多神教であり自然に神を見出す日本は、まさに「野生の思考」を現代に応用しているとレヴィ=ストロースは捉えたようです。強く意識する必要があります。

また、もうひとつ気に留めなければならないことがあります。構造主義とITの親和性です。もともと数学的思考での解析を好むので、コンピューターの発展は歓迎すべきものだと知りました。自分が、その関連性に関心が薄いことに気がつきました。膨大なデータを扱わないからでしょう。
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2017年01月12日

まちづくり関連本、など 1317

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「一日江戸人」
杉浦日向子著、新潮文庫、2005

おそらく以前にブログに挙げていると思います。再び登場したのは、再読が終了したからです。長いこと放っておいたのですが、先日、最後の数十ページを読み終えました。

単行本として発行されたのは1998年とのことです。ということは、それよりも前に書かれたものです。ですから、今から20年以上前の感覚で書かれていることを入れ込んでから、残りを読み始めました。春画に関する件が時間の推移を物語ります。今では春画に関する書物が幾つも出版されていますし、春画を美術作品として展示する企画も現れています。時代が成熟したと言えるのか、それとも、この程度ではタブー視する意味がなくなったのか分かりませんが、杉浦さんが伝えたかった江戸人気分への理解が深まるのであれば佳いことだと思います。

この本を再読してよかったのは「気障」と「野暮」についての件です。「野暮」はともかく、江戸人は「気障」も嫌っていたとのこと。「気障」と言われるくらいなら「野暮」と言われる方がまし。という気分に感心します。「粋」「通」と呼ばれるには、経験とセンスがいります。なかなかたどり着けるものではありません。どのようになりたいのか、というよりも、なりたくないのか。こちらのほうが大切なのだろうと思います。
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